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人生朝露

人生朝露

自然を感じてしまう人。

さて、予告を見た限りでは、今公開中の「インセプション(Inception)」も、おそらくはそうであろうという、

ところがどっこい。
荘子であります。

マトリックス。 アバター。
『マトリックス(Matrix)』や『アバター(AVATAR)』もそうですが、老荘思想や禅の思想が、ハリウッド映画で手を変え品を変えて出ている状況を楽しんでおります。おそらく、「インセプション」はユングと荘子のミックス?ま、感想は観てから。

参照:荘子と進化論 その46。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/201004130000/

荘子と進化論 その50。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/201005090000/

アバター(AVATAR)と荘子 その4。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5042

そういや、『エアベンダー』にネコバスが出たらしいですね。

エアベンダー の ネコバス。

参照:あれ?『トトロ』のネコバス実写版?公開中『エアベンダー』に不思議キャラが登場!打倒アリエッティ!?  シネマトゥデイ
http://www.cinematoday.jp/page/N0025705

で、宮崎駿が言っていますが、

参照:向かい合う感覚1.5
http://www.youtube.com/watch?v=2wWp9RJ2F4A&feature=related

>日本人が普段忘れていたとしても心の中に持っている感覚なんです。
>日本人は東アジアの中で傑出して強く持っている感覚なんだと思います。
>自分たちが自然の問題や将来のことを考えるときに、自分たちが無意識の中に先祖から受け継いでいる考え方を土台にしないと、どこかから考え方を輸入しただけでは済まない部分に必ずぶつかるんです。

荘子の場合の「無為自然」というものは、単なる環境思想に止まらないものでして、感覚的にはキョキョウ篇のものが日本人的かなと。
Zhuangzi
『子獨不知至徳之世乎?昔者容成氏、大庭氏、伯皇氏、中央氏、栗陸氏、驪畜氏、軒轅氏、赫胥氏、尊盧氏、祝融氏、伏羲氏、神農氏,當是時也,民結繩而用之,甘其食,美其服,樂其俗,安其居,鄰國相望,?狗之音相聞,民至老死而不相往來。若此之時,則至治已。今遂至使民延頸舉踵曰“某所有賢者”,贏糧而趣之,則?棄其親而外去其主之事,足跡接乎諸侯之境,車軌結乎千里之外,則是上好知之過也。上誠好知而無道,則天下大亂矣。何以知其然邪?夫弓、弩、畢、弋、機變之知多,則鳥亂於上矣;鉤餌、罔、罟??之知多,則魚亂於水矣;削格、羅落、?罘之知多,則獸亂於澤矣;知詐漸毒、頡滑堅白、解垢同異之變多,則俗惑於辯矣。故天下??大亂,罪在於好知。故天下皆知求其所不知而莫知求其所已知者,皆知非其所不善而莫知非其所已善者,是以大亂。故上悖日月之明,下爍山川之精,中墮四時之施,惴?之蟲,肖翹之物,莫不失其性。甚矣夫好知之亂天下也。自三代以下者是已。舍夫種種之民而悦夫役役之佞,釋夫恬淡無為而悦夫??之意,??已亂天下矣。』(『荘子』キョキョウ 第十)
→あなたは至徳の世について知っているだろうか?(中略)その当時は、民は文字の代わりに縄の結び目を使い、自分の手で作った食べ物を美味いと思い、自分の手で織った着物を立派だと思い、その土地の娯楽を楽しいものと思い、粗末であっても自分たちの住まいで十分だった。隣の国とは鶏や犬の聞こえるほど近かったが、人々は老いて死ぬまで往来をしなかった。このような時代にこそ、人々はのんびりとくらしていた。ところが今では、つま先で立ってせかせかと歩き回り、遠くに賢人がいると聞くと、教えを請いに遠くまで出かけていく。故郷の親を捨て、恩義のあった人たちも捨て、国をも越えて千里の外へ車で走り回るようになった。これは上の者が知を好んだための過ちである。上の者が、さかしらな知を好んで道を忘れてしまえば世の中は大いに乱れてしまう。どうしてそうなってしまうのか?そもそも人が弓、弩、鳥網、弋(いぐるみ)などの道具を使う知恵を身に付けると、それから逃れようと鳥は空で乱れ、釣針、えさ、網、四手網、梁(やな)のような道具を人が使いだすと、それから逃れようと魚は水で乱れることになる。人が檻、罠、ウサギ網などの道具を使いだすと、獣は沢で乱れることになる。
 人の世とて同じ事で、さかしらな知恵を偽り、誹謗とねたみ、迂遠で姑息な言い回し、詭弁やでまかせなどの議論が横行すると、俗人たちはそれにとらわれて惑わされることになる。この罪は上の者が、そもそも知を好んだことによる。
 人はみな、知らないことを知りたがるものだが、すでに知ったと思うことを思い返したりはしない。自分がよくないと思うことは批判できるが、自分が一度よいと思ったことを反省することはできない。天下の乱れはそこが原因なのだ。天は日月の輝きを隠し、大地では山河の精気が萎み、四季の気象が迷い、地を這う虫も、空を飛ぶ鳥も万物すべてが本性を失う。人がさかしらな知を好み始めたのがすべての元凶なのだ。
 夏、殷、周の時代からの歴史はその連続だ。純朴な民衆を捨て、軽薄な人間を好み、私利私欲のために無為自然を忘れ、自分が知恵者だと一人ご満悦だ。ああ、すべて知こそが世の乱れの始まりなのだ。

・・こういう視点は、聖書で言うところのアダムとイブの「知恵の実」の話であったり、北欧神話のオーディンが知恵の代償として片目を与えた話にも通じるものですけど、環境思想家としての荘子の文明批判というのは、ものすごく根源的なところからくるんです。紀元前でこれを感じ取って、文字にしているんです。人間の知的活動から生じる「人為」そのものへの批判なんです。

・・・本当に、もともとは感覚的なもののはずです。

>私が実習に行った農場は、山手線が全部納まるような日本では稀な大規模農場であったが、私はその中で鶏の雛の生産現場に配属された。そして、そこでは卵から孵ったばかりの雛のうち雌雄鑑別を終わった雄が、特大のポリバケツに投げ入れられ、一杯になると足で踏みつけて、さらに詰め込まれ、その農場の中に掘られた巨大な地下の雄雛捨場に、煙突のように立っている投げ入れ口から捨てられていたのである。足で踏まれた時の雛の悲鳴と2、3日してその雄雛捨場の横を通った時、そこから聞こえてきた、か弱い雛の鳴き声は今でも耳の底に残っている。
>この体験を通して私は、生まれてからそれまでの間に感じた事のない、何とも言いようのない怒りというか恥ずかしさというか、人間の身勝手さ、業の深さに、私はこの先も畜産という世界に身を置くことに絶望的なものを感じたのである。そして、その直後、当時としてはまだ珍しかった玄米自然食の世界を週刊誌の記事で知り、一気にその世界にのめり込んでいった。

参照:ほころび | 甲野善紀
http://www.re-s.jp/note/kono/20091027.html

『荘子』を愛読されている甲野善紀さんが感じている感覚にもはっきりと見えるものです。今の単なる流行に過ぎないエコロジーとは別次元のものです。

こういうのを、思想的に展開しえたのは手塚治虫と宮崎駿くらいでしょうが、感覚だけでやっているのは、
『14歳』 楳図かずお
楳図かずおくらいのものなんじゃないかと思います。「14歳」にある人間の自然に対する意識の率直な表現は、誰かに教わって出来る次元を超えてますもん。やっぱり天才ですよ。「マトリックス」を何回観ても「わたしは真悟」には及ばないですし(笑)。自分にウソがない人の表現というのは、自然にこの辺りにいきついてしまうものではないんでしょうかね。

参照:【楳図かずお自作を語る】14歳
http://www.youtube.com/watch?v=M20TwWQ9uBQ
我が郷土の口蹄疫も、結局こういう感情の行き着く先にあるのだろうと。

またまとまらないまま、

今日はこの辺で。


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